MLGs WEB学生ライターの窪園真那(立命館大学)です。
今回は、海をつくる会の西野水道水中清掃に参加しました。(2022年9月25日)
西野水道とは、長浜市の、西山という山の麓にある、琵琶湖へ向かって貫かれている排水用の岩穴で、滋賀県の指定文化財になっています。
朝10時。9月下旬とは思えないほどの強い日差しの中で、総勢20人で清掃活動が開始されました。清掃が行われる琵琶湖岸に辿り着くためには、昭和時代に作られたトンネルを通る必要がありました。長く、暗いトンネルで少し怖かったです。
琵琶湖岸へ到着
琵琶湖岸に着くとゴミを入れるためのオレンジ色のネットが参加者に配られました。ビニール袋ではなく繰り返し使えるネットを利用していて、清掃活動中にもゴミを出さない工夫がされていました。
清掃活動は水中の清掃と陸上の清掃の二つに分かれて実施されました。水中の清掃はダイバーの方々が酸素ボンベを背負い、潜ってゴミを集めました。その他の参加者は陸上でゴミを集めました。
琵琶湖岸の光景が物語る、水中の大量のゴミ
私は陸上で火ばさみを使い、細かいゴミを集めていましたが、ゴミが山積みになっている場所があり、その光景に圧倒されました。大量生産・大量消費社会をイメージさせる光景でした。大量のゴミが捨てられている琵琶湖岸の光景を見て、琵琶湖もかなり汚染されているのではないかと心配になりました。
また、マイクロプラスチックの問題も気になります。魚への影響はもちろん、人の排泄物や血液からマイクロプラスチックの粒子が検出された研究結果も報告されています。
ダイバーから聞いた琵琶湖の水中ゴミの深刻さ
釣りで使うワームが長い間水中にあり、何十倍も膨れ上がっていました。琵琶湖は淡水であるため保存状態が良く、海よりもはるかに長い期間、水中に存在し続けるとのことです。
ゴミがあるところには土や泥はもちろん、新たなゴミも溜まりやすくなります。さらにゴミに付着した水草等が腐ってヘドロ化し、急速にヘドロが溜まります。また、ヘドロからは有害ガスが出る場合もあり、生き物が減少、水質の悪化というように、悪影響を生み続けます。
水中ゴミは、釣具や漁具が非常に多かったです。西野水道でもタツベ籠の一部や、ロープ類、釣り糸、釣り針等を多く引き上げました。これらは人の手から離れて、人がコントロールできなくなっています。しかし漁をする機能は残っており、水中で永久に漁をし続けています。これらのゴミがさらに増え続けると、非常に深刻な事態になると思いました。
環境問題を「ジブンゴト化」する
清掃活動をしている途中、釣りをしている男性から声をかけられました。「ありがとうございます。」たった一言でしたが、非常に嬉しい気持ちになりました。
参加者の中にも「釣りが趣味で、頻繁にこの琵琶湖岸に来る」という方がいました。その方は、釣りをして帰る際にはレジ袋一つ分のゴミを拾ってから帰るそうです。また、他の参加者の中には2、3ヶ月に一度のペースで清掃活動を行っているという人もいました。「釣り人に対する印象(ゴミを捨てて帰るなどの印象)を変えたい」という気持ちで仲間たちと清掃活動を始めたのだと言います。ダイバーとして清掃活動に参加した人は、水中遺跡を見るために潜ったところ、ゴミで遺跡が見えず、何とかしなければならないと思い、活動を始めたそうです。
清掃活動を行う参加者の動機はそれぞれでしたが、環境問題を「ジブンゴト化」しているということが共通していると感じました。漠然とした世界的な問題ではなく、身近な問題として捉え、自分ができることに着実に取り組んでおられました。そして、その活動を周りにも波及させ、仲間を増やしておられました。私に感謝の言葉をかけてくださった釣り人の男性も、今回の清掃活動を見て、ペットボトルのゴミを一本拾って帰ったかもしれません。そう願いたいです。
分別作業
最後に拾ってきたゴミを運び、分別しました。一度集めたゴミをビニールシートの上に出し、ペットボトルや缶、雑プラ、ビンなどに分類しました。その量はトラック三台分にも及びました。大変な作業でしたが、集められたゴミの量と綺麗になった琵琶湖岸を見て、参加者は満足げな表情をしていました。清掃をしない限り、山積みになったゴミが消えることはないと思うと、非常に恐ろしいです。根気強く清掃活動に取り組み、その活動を波及させていくことが私たち一人一人にできることだと思いました。
海をつくる会の活動を聞く
この西野水道水中清掃の活動を主催した「海をつくる会」名古屋支部の藤本さんにお話を伺いました。
清掃活動をしている団体は、滋賀県内にもたくさん存在していますが、そのほとんどが陸上の清掃活動だそうです。
例えば花火大会。昔は、会場中心に、ゴミが山になっていましたが、最近は人々の意識も高まってきて、花火大会後の清掃をする事が当たり前のようになっているそうです。しかし、花火大会をした会場の水中は清掃をしません。今の花火はプラスチックが原料の袋等に火薬を詰めて作られており、打ち上げ後、破れた状態の袋等が、水中に落ちます。ダイバー以外はそれを見る機会はほとんどありません。水中のものは見えないため、そもそも気にする人が少なく、気になったとしても拾いに行けません。そのため、その水中のゴミは永久に湖底にあり続けます。実際、昭和時代の缶やポット、菓子袋等が出てくるそうです。
海をつくる会は、これらの水中環境の悪化を、実際に自分の目で見ている証人として、水中清掃や生物調査、水中環境整備等を行うとともに、水中環境の悪化を人々へ警告をしています。
「名古屋支部は、愛知県人が多く、関西地区は大阪と奈良のメンバーが少しで、残念ながら滋賀県民は一人もいません。滋賀県民の方や、琵琶湖の水を飲んでいる京都と大阪の方々にとっては、琵琶湖のゴミ問題は生活にかなり直結している問題だと思うのですが、こちらが思っている程、関心がないように感じます。」
「実はもう手遅れだと思っています。しかし、このまま何もしないよりは、行動した方が、少しでも食い止められ、メンバーが増えて、活動が活発になればよりいいかと信じています」と藤本さんは訴えます。
「気概」を忘れない!
今回清掃活動が行われた西野水道は滋賀の指定文化財で、琵琶湖へ向かって貫かれている余呉川の放水路です。かつて、余呉川は大雨の度に氾濫し、流域の集落に大きな被害をもたらし続けていました。特に、長浜市高月町西野周辺は、浸水や飢饉に悩まされていたそうです。そして今から約180年前(天保11年)、洪水から集落を守ろうと充満寺の僧侶、西野恵荘が指導者となり土木工事が行われました。能登、伊勢から石工を招き、6年の歳月と多額の資金をかけてノミだけで手彫りをし、放水路を通したのです。かなりの難工事だったそうです。
清掃活動後に、江戸時代に掘られた西野水道に入ってみましたが、手彫りのノミの跡が残っていて、当時の人々の「気概」が感じられました。高さのばらつきや直線ではないトンネルが難工事を物語っていました。当時の人々は、自分たちの命を脅かす浸水や飢饉から目を背けることなく、その解決のために骨を折ったのです。その根気強さと「気概」を私たちも忘れてはなりません。事態は思ったより深刻です。そして私たちに猶予はありません。地元のゴミ問題について「ジブンゴト化」して、行動する必要があることを強く感じました。